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三笠市は北海道の中では特異な歴史を有する町だ。明治の初めに炭鉱が発見され明治12年に開鉱した北海道最古の炭鉱は当時では世界最先端の技術が導入され、石炭を運搬するために北海道で最初の鉄道が引かれたが、これも当時では最先端の技術が注ぎ込まれて完成した。産業構造の変遷のなか炭鉱は次第に衰退し平成元年には最後に残った山の灯も消え一世紀に及ぶ歴史に幕を下ろす。今は残された産業遺構を観光資源とする試みがされている。また三笠市は白亜紀の地層が広く分布し世界的なアンモナイトの産地としても知られる。
国道12号線沿いにある巨大水車が目立つ道の駅で、道の駅としては北海道で最初に登録された名誉ある歴史をもつ農業体験研修施設。三笠の代表的な特産物であるみかさワイン、三笠メロン、梅ワイン、北風の旅人などを販売している。併設の農の館(農業資料館)は入館無料で水車を利用したそばの粉ひきがみられる。◆三笠市岡山1056番地の1
三笠市立博物館には国指定の天然記念物エゾミカサリュウやアンモナイトの化石が1.000点以上の展示されアンモナイトに関しては国内でも代表的な自然科学館。また北海道初の炭坑と鉄道の歴史を刻んだ街の資料や、北海道開拓に大きな足跡を残した集治監等の資料が保存されている郷土資料館の機能を併せ持つ。桂沢湖の近くで発見されたエゾミカサリュウは恐竜ではなく魚竜かワニの仲間と考えられている。◆三笠市幾春別錦町1丁目212 番地 TEL:01267-6-7545
文化が育む人づくり、まちづくりを目指し平成10年に閉校した旧幌内中学校校舎を利用し平成12年にオープン。三笠出身の大和屋巌さんの水彩画やスケッチをはじめ三笠ゆかりの芸術家から広く道内の芸術家の作品まで多くのを展示中。三笠の歴史や文化と現代芸術にふれてみてください。◆三笠市幸町2番地 TEL:01267-2-3181
幾春別栗丘町にある三笠あすか梅の杜(旧邦梅園)には紅梅や豊後梅など約1万本の梅の樹が植栽されている道内最大の梅園。毎年5月中旬にはいっせいに開花し桜とは違った独特の彩りが園内を包む。開花シーズンの5月中旬には「みかさ梅まつり」が開催。この梅を使った梅ワインと梅干は三笠の特産品です。◆三笠市幾春別栗丘町16 TEL:01267-6-7016
石狩平野を望む達布山は明治中頃に板垣退助、山県有朋、榎本武揚、永山武四郎など数多くの要人が訪れたことのある歴史ある展望地で360度の展望が得られる展望台が設置されている。道道1140号三笠美唄線の達布から入るのが一般的なルートですが道の駅三笠から行くことも出来る。道の駅ルートは空知集治監ゆかりの史跡もあるという事です。
空知集治監の裏山が三笠山(奈良県)に似ていることから囚人による命名〈殆どは政治犯で知識人も多い〉ですが大正2年の大凶作のあと地元の人たちが豊作を祈願するため四国から移した33体の地蔵観音像を祀ったことから観音山とも呼ばれる。風致見本林として12種500本を越す桜が植られ隠れたサクラの名所。◆三笠市本郷
レンガ煙突はこの地に空知集治監が存在した事を示す唯一の構造物で、レンガは空知集治監自製。明治15年に設置された空知集治監の典獄官舎(刑務所長)の跡で、明治23年に典獄官舎が新築された際に設けられた。空知集治監は抜羽の沢川を水源とし北海道最初の上水道を設置、その水源はヌッパ水源地と呼ばれる。◆三笠市本郷町
原利八の獄死を後世に伝えるために同志河野広体等により建立された慰霊碑。明治政府は西南の役等の反乱軍を制圧し後の自由民権運動など権力に抵抗する者に対しては徹底的に弾圧し、重罪人としてその多を北海道開発のため北の果てに送り、消耗品として重い鎖をつけ過酷な道路建設と坑底に追いこみ多くの命を奪った。碑の前に立つと多くの先人たちの犠牲の上に今が有ることを思い知らされる。
幌内煤田開発、幌内鉄道開設の功労者でもある山内堤雲の筆になる『郁春別煤田』の碑は、郁春別礦の開坑を記念し幾春別のゆかりの地に建碑されていたが、現在は三笠市立博物館に収蔵という。また、山手町には明治時代の原始的な採炭方法である『たぬき掘り』の跡が残存する。
暴虐な明治政府に抵抗した者は重罪人として北海道に流刑、中でも空知と網走の集治監に送られた囚人には過酷で凄惨であった。合葬の碑はこの地で明治15年9月~25年12月までに死亡した囚人1.098人を集骨し合葬、慰霊碑を建立したものです。実際にはまだ多くの犠牲になった方がいるのでしよう。北見市には鎖塚があります。◆三笠市柏町
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